高松次郎の宇宙へいく方法



私達重力をいつどのようにして感じるだろう。

高松は物理学、数学的観念より宇宙へ飛び立つ男


彼は個人の内面 感情表現を否定、思想を超えて数式や素粒子学というところから宇宙へ、無へ、還った

自己表現からの脱出に、時間の壁を征服したところにある宇宙を。



不可解、未解決、未確認、可能性...

彼らはそのままで十分に生きている

そんなことを問い出す


私達とにかく実存に執着するのは永遠ではないから 焦燥感からも生まれる生命力

個人の感情 内面は移ろいやすいために一瞬入りする

一瞬に突入して感じるのは永遠 、

芸術は出発点かもしれない


空間へ愛着し、

有心と無心、意識と無意識、欲と無欲、これらの統合を問題とした

ものでもことでもある高松次郎は人の認識できない 認識外  へ迫り、挑み続ける過程にいた


 姿をあらわさない魚は大きさについでばかりでなく釣るべく魚として完壁と言った高松、永遠に不在の反実存というゴールへの道に人類は突入することができるのだろうか